出会いって例えばの話
例えばの話、出会いって言うものはビックリマンチョコのオマケシールであり、欲しいシールが出るかどうかは買ってみなければわからないものですこのように理想の出会いを欲するのならばビックリマンチョコのシールのように出るまで買い続けるかオークションでプレ値を出して購入するかのどちらかしかありません。つまり出会いも同様に、欲するのであればそれに相応しいだけの努力なり行動なりを起こさなければ絶対に理想の出会いなどと言うものは手に入らないのですよ。ちなみに出会いはまったく関係ありませんが個人的には初代の『ビックリマン』よりも2000年を記念してシリーズ再開された『ビックリマン2000』の方がキャラデザ的に好きだった事はここだけの話である。
出会いと対価は等価値であるか否か?
アナタが手に入れる出会いに対して支払う対価の価値は常に等価値であるか?この問に対して応えるのは簡単だが残念な事にソレは一概に全ての人に当てはまる答えではないため、とりあえず強いて言うとすれば、出会いを見つけると言う結果に対してアナタの行動なり努力なりの形のない支払った対価が適正値であったのかどうかを判断するのはいつだってあなた自身をおいて他にはいません、結局アナタ自身が『この娘と出会えてよかった、頑張って本当によかった』と思えるかどうかは全てアナタのさじ加減しだいであり、そもそもこの世の中に等価交換が適用されるものなんてそうそう多くはないんですから気にするだけ無駄だと言う事にさっさと気がついて下さい。
出会いの機会が存在しない
出会いが欲しいのならば異性との出会いを探せばいいじゃない、そんな無責任な事を簡単に言えてしまう程度の人間に、出会いの機会がそもそも存在しない人間の気持ちなどそもそも理解できるはずもないではないじゃないか、結局持たざる者の気持ちなど持ち得る者には理解出来ないのである。しかしソレと同様に出会いを見つける事のできる人間の気持ちなど出会いを見つける事のできない人間などには到底理解できるハズもないのである。そう考えると出会いを見つける事のできない人間と出会いを見つける事のできる人間はつまり要するに生物としてはむしろ別々の生き物であると思った方が精神衛生上はコストパフォーマンスが高いと判断できるだろう。