私は神だ、出会いを貴様に与えよう
例えば仮に、『お前に好きな女の子と付き合える権利を授けよう、ほれクラスの女の子でも芸能人でも好きな女の子と付き合うがいい』と神様がとち狂った事をしたとしようじゃないか。そしてそのまま安直にリスクも詳しく考えずに意中の女の子と『付き合う』事ができた童貞のアナタが居たとしてその後どうなるか想像できるだろうか?まずストレートに言って『破局』が待っていると考えるのが妥当だろう、何故ならば我々は日々の常日頃から出会いが欲しい出会いが欲しいとつぶやいてはいるものの実際には出会いが欲しいと呻いているだけでその出会いの先にいったい何があるかなど考えた事が一切ないのだから、こんな人間が突然付き合う事になった女性とうまく行くわけない。
ゴールはもっと先ですよ
出会いを見つける、もしくはみつけたと言う事は決して『ゴール』では無い、もちろんそれなりの位置にまで達したと言う事はゴールではないにしてもソコソコほめられるべき到達点ではあるため、スーパーマリオワールド風に言えばセーブポイントバーをくぐったくらいには『よくやったぞ貴様!』状態である事は一応ここで明言しておこう。だがしかし結局重要なのは異性と出会う事ではなく、むしろその先の出会った後にいったい何をするのかであり最終的な到達地点が残念極まりない悲惨な状況であったとしたらまったくもって出会った意味などないのだ。つまり我々のようなモテない男子は出会いを求める限り、その先の結果も意識する必要があるのだ。
出会いにいったい何を求めるのか
しかし出会いと言ってもその性質は人によって様々である。例えば道端でスレちがっただけでも『運命の出会いを感じる、君とはきっと前世で固い絆によって結ばれていたに違いない!さぁお嬢さん私といっしょにお茶でもいかがですか?』などと言ってしまうようなキチガイ男性も存在するので、そんなアクティブなキチガイ男性に比べれば家で黙々とネットのコミュニティーサイトでくだらない書き込みをしているかモンスターハンターを黙々とプレしているだけの男性がいかに無害であるかをそろそろ世界は理解すべきではないだろうかなぁ?実際の殺人に至るような人間はそもそもの根本がズレてネジ曲がっているのであり全てオタのせいにするのは間違いである。